エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

池澤夏樹の共鳴

久しぶりに出町柳の駅で降りる。鴨川べりの桜はまだ3、4分咲きほど。風が少し冷たい。


池澤夏樹の「氷山の南」を読む。

氷山の南

氷山の南

書店で並べられているこの本を見た時にはもちろん村上春樹のあの名作を思い出した。でもこの本は(基本的には)恋愛小説ではない。分類上はビルドゥングスロマンになるだろう。ただ個人的意見ではこの本はその域を超えている。(名作はカテゴリーを超える)私は池澤夏樹の比較的よい読者だが、この本は彼のベストではないか。そしておそらく2010年代を代表する作品として記憶されるのではないか(ある種の本好きにとって)。


また、この本はあちこちで村上春樹のいろいろな作品を想い起こさせる。でもそれは影響を受けているとかそういうものではないと思う。「共鳴」だ。


「『中学でも高校でも、ぼくのまわりでは、誰もがゲームに熱を上げていました。あるいはファンタジーにはまっていた。あるいは過去のサブカルチャーの細部に入り込んでどうでもいいことを調べ上げて得意になっていた。どれもぼくには袋小路に思えました』...『それはファンタジーでも同じです。ぜんぶが徒労。高校を出て、大学を出て、安定した生活を得て…そういうことぜんぶがゲームでありファンタジーであるようにぼくには思えた。だからそっちには行くまいと決めた。ぼくは自分が拗ねた、斜めに構えた、皮肉な性格であると思っています。だから不毛な方向には足を踏み出したくない。ぼくの閉塞感を打ち破る方法があるはずで、できるならばそれは人間みんなの、この時代この惑星で暮らすみんなの閉塞感を破るものにつながっていてほしい」
この文章を読んで、少年カフカの残響を聴き取らずにいることは難しい。でもこの池澤カフカは「この時代とこの惑星」を語る。逆にいうと少年カフカは「この時代とこの惑星」を語ろうとはしない。

「『船員もそうだ』と船長が言った。『海の上には無能な者がいる余地はない。この船の乗組員は一人残らずそれぞれの職務を遂行する能力があるし、それを裏付ける資格を持っている』
しばらくの沈黙。
『資格はないとして、きみにはドンナ能力がある?』と族長が聞いた。
彼は考えた。
ここでへりくだってはいけない。未熟者ですがよろしくといってはいけない。努力しますといってもいけない。
それはニュージーランドの高校で学んだ。日本では周囲との調和が大事だった。全体の中の一人として、目立たないよう滑らかに動くことが大事だった。目立つと圧力がかかる。自分の場合は出自のこともあって、いよいよ目だたないようにしてきた。でも、オークランドの航行では、目立たない子は無視される。どんな場合にも、自分というものがここにいるということをアピールしなければならない。他人の意見にいいかげんに賛同せず、少しでも違う意見を考え出して大きな声で表明しなかければならない」


以下のような表現がさらっと出てくるところが池澤夏樹の粋なところだと個人的に評価している。

「一般の人たちは、工学というのは形の問題だと考えています。設計図を見ている限り、そこに描いてあるのは形ばかりです。飛行機がいかにも速く飛びそうに見えるのはあの形のせいでしょう。
でも、工学を成り立たせているのは形だけではない。大事なのは材料なのです。図面の上でどんな形を描いても、それに耐える強度を具えた素材が手に入らない限り、その設計は実現しません。三匹の子豚と狼の話を思い出してください。あれはそのまま材料工学の寓話です。強い素材さえあれば豚は狼に勝つことができる」


「『つまり、失敗に終わる可能性もある?』
『もちろん』とチャールズ・ベイカーは力を込めて答えた。『失敗への道は無限にあるよ』」
実験屋は心から首を縦に振るだろう。10あるステップのひとつを失敗したら90%の結果は得られない。しばしば0%である。

「『では、族長がノアというわけですね』
『いや、私にそんな力はない。今、人間を導く力を持っているのは科学と工学だよ。だから私はDDを尊敬しているし、水なき人々に水を運ぶという彼女の計画を応援しようと思ったんだ』
『でも、世界がこんな風になったのは科学と工学のせいだと言う人もいます。だから水が不足するようになったと』
『そうかもしれない。だからこそ、今、科学と工学は水の最適配分を考えているんだよ』」


これでこの本の前半のさわりを紹介したことになるが、この本の魅力はまさに後半にある。不思議なのは「アイシズム」が、「1Q84」の「さきがけ」に比するものを意識して書かれているかということだ。そこまで考えてはじめて主人公の名前の意味するところがわかった気がする。主人公の名前は「ジン」と言う。