桜の花びらの舞う光景をはじめてきれいだと思ったのは高一の春だった記憶がある。
- 作者: 福田和也
- 出版社/メーカー: 扶桑社
- 発売日: 2012/04/07
- メディア: 単行本
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この本の冒頭に書いてあるように岸信介は昭和35年に総理を辞任しているので、私にとっては岸信介は佐藤栄作の兄であり、「昭和の妖怪」といわれてもぴんとこなかった。 福田和也は近代史上最も重要な総理大臣と肯定的にとらえている。良し悪しは私にはわからないが、確かに「政治家」だとわかった。
「それを悪と、呼ぶべきかどうかは別として、岸信介が、官吏として政治家として、今日の価値観からみれば、反発や非難を受けざるを得ない手段を時に平然ととったことは、異論の余地がないように思われる。その点で、近代日本政治のなかでも、屈指のマキャベリストだったし、敢えて悪役の汚名を着ることを辞さなかった。
つまりは、自分を正義の側に位置づけることに汲々としなかっただけでなく、そうした小心さを、いささか軽蔑していた節がある」
このあたりは、塩野七生がカエサルを語るあたりの口吻に近いか。もちろん岸は将軍ではないが。
「もちろん、このこと、つまり新しく荒々しい領域を、岸が好んだということは、必ずしも、岸がエリートであることを、嫌悪したということにはならない。むしろ、このように考えるべきなのだろう。岸においては、エリートであり、俊才であることへの自負があまりに強かったために、敢えて派閥の擁護を求めたり、出来上がったコースを歩む穏便さを追求する必要を認めなかった。むしろ、岸は、己の優越性に対して絶大な自信があったからこそ、あえて未踏の道を歩んだのだと。岸の場合、その才は、自らを小心翼翼とさせないだけの、余裕をもって賭けに挑むだけの自信を、彼に与えていたのだと。その片鱗はおそらく、陸軍を拒んだ時点で、すでに現れている」
「満州で、日本人は、「可能性」を経験した。
つまり、満州を建設するという過程で、日本人はかつて味わうことのなかった大きな可能性の、開かれた未来の、前に立つことができた。
もちろん、その可能性が全て現実化したわけではない。実際に形となったものは、むしろ、ごくわずかだろう。にもかかわらず、大きく広がった視野と発想の下で、その夢の実現に邁進し、たとえ少しでも実現したという体験は、かけがえのないものだった」
佐野眞一の2冊の本を思い浮かべながら、あるいは「満鉄調査部」を思うと、そのあたりは辿れなくはない。正直には、実際の大連の街はそれほどの感慨を催すほどのものではなかったが、それは「兵ともが夢の跡」というもので、現代の感覚で捉えることがそもそも誤りだろう。