エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

生命とは?物質か!

衆議院が解散された。いよいよ総選挙だ。40日もあるので、自民党もあの手この手で仕掛けてくるだろうが、よほどのハプニングがない限り民主党の優位は動かないだろう。10年来の小沢一郎ファンとしてはわくわくする気が3分の2、本当に民主党政権担当能力があるのかという気が3分の1。まずは民主党が出してくるであろう閣僚候補が試金石だと思う。


和田昭允の「生命とは?物質か!」を読む。

生命とは?物質か!―サイエンスを知れば百考して危うからず

生命とは?物質か!―サイエンスを知れば百考して危うからず

ゲノム科学総合センターの初代センター長の和田先生が科学雑誌に連載したエッセイをまとめなおした本。連載中から時々読んではいたが、まとめて読んでみるとまた違った感慨がある。この感慨は柳田充弘先生のブログを読むときの気分に似ている。

「生物学の究極の目標とはなにか?私は繰り返し主張します。ゲノムがデザインしたオミック・スペースには、38億年も地峡環境の中で生き延びてきた「物質の状態」の「生存戦略」が書かれていることは疑いない。もしそうでなければ、私たちがいまここに存在しているはずはないのだから、疑問の余地の無い話です。その「生命の原理」「子孫繁栄の戦略」を読み解き、人類の自己理解と知的発展に貢献することこそが、生命科学の究極の目標だと私は思います」
このあたりの大上段からの一撃は普通の人には書けない。やはり木戸孝允のひ孫として、「日本を背負ってきました」というプライドからのものだろう。いまどきの日本ではなるほど流行るまい。だが、世界の水準で考えたとき、これくらいの山っ気や自己主張はごく当たり前のことのはずだ。

上田良二先生の意見を引いた以下の部分。
「どのように探るか?浅く広くか、狭く深くか。
各教師がどちらでも選びうる自由が残されていなければなるまい。いずれにしても、学問というものは底がなく限界のないものだということを、知らず知らずの間に生徒に感得させてほしい。最近、私は工学部で教えているが「原子物理はどれだけ覚えればよいか」というような質問を受けることがある。注意してみると、このような質問はむしろ成績の良い学生に多い。彼らは頭もよくファイトもある。試験に対して常に完璧を期して勉強してきた連中である。受験勉強ならこれだけ覚えれば完璧ということもあろうが、そのような考え方では学問はできない」
この単純な事実を学生に飲み込ませるいい方法はないものか。

ふたたび上田良二先生。
「日本人学者はみんな無色透明な感じだが、欧米には強烈な個性を感じさせる人が少なくない。不可能と思われる問題に取り組む。他人の批判をものともしない。強引に自説の証明を試みる。”未知だから試みる価値がある”というくらいに人はざらにいる。
研究は客観的推論のみでするものではない。その節目節目で主観的判断をし、5年、10年、あるいは一生を賭ける自信と勇気がいる。日本の研究が知力万能、教育が知育偏重なのは、後進性の証拠だ。先進的になれば、必然的に判断力や勇気が重視されるはずだ」
自信を持って主観的判断のできる研究者になりたい。