エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

井上靖のことを想う

京都は井上靖が長い大学生活を送った町である。最近は井上靖を読む人がいるのかどうか。私にとって井上靖は、人の心に詩が住んでいるということを分からせてくれた人だ。人の世に住むのに倦んだときに、井上靖の小説はふさわしい。

広く知られているとは思わないが、井上靖の詩もすばらしい。

「むかし「写真画報」という雑誌で”比良のシャクナゲ”の写真をみたことがある。そこははるか眼下に鏡のような湖面の一部が望まれる比良山系の頂で、あの香り高く白い高原植物の群落が、その急峻な斜面を美しくおおっていた。
その写真を見た時、私はいつか自分が、人の世の生活の疲労と悲しみをリュックいっぱいに詰め、まなかいに立つ比良の稜線を仰ぎながら、湖畔の小さい軽便鉄道にゆられ、この美しい山顛の一角に辿りつく日があるであろうことを、ひそかに心に期して疑わなかった。絶望と孤独の日、必ずや自分はこの山に登るであろうと。
それからおそらく十年になるだろうが、私はいまだに比良のシャクナゲを知らない。忘れていたわけではない。年々歳々、その高い峰の白い花を瞼に描く機会は私に多くなっている。ただあの比良の峰の頂、香り高い花の群落のもとで、星に顔を向けて眠る己が睡りを想うと、その時の自分の姿の持つ、幸とか不幸とかに無縁な、ひたすらなる悲しみのようなものに触れると、なぜか、下界のいかなる絶望も、いかなる孤独も、なお猥雑なくだらぬものに思えてくるのであった。」

小説では、「花壇」が最も好ましい。

花壇 (角川文庫 (4434))

花壇 (角川文庫 (4434))

死に身近に触れた事で遁世の気持ちを抱いた建設会社の社長が、一度は社長の椅子を退くが、最後に故あって仕事仕事の日々に戻っていくというだけの話だが、ハードボイルドである。「高潔な騎士が卑しき街をいく」の世界である。

たぶん私の中にも遁世の気持ち、世になじめぬ気持ちがあるのだろう。そういう自分を哀しみつつ生きていかねばならぬと思う時、井上靖の小説世界がこの上なく近しい気持ちを持たせてくれるのだと思う。そしてたぶん、今の若い人たちの生き難さとは、それは何か違うものなのだろう。