エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

物理学の30年の停滞

夏至も過ぎ、梅雨らしい雨の続く時節になった。雨降りは内省を誘う。

「迷走する物理学」を書いたリー・スモーリンは私が最も愛好する物理学者である。

この本で、スモーリンは、物理学の五大問題が三十年前と全く同じものである理由を説明する(理論素粒子物理学には、この30年にわたり、ノーベル賞が獲れると請合えるような成果がない)。最大の理由は、ストリング理論にあまりに多くの精鋭と資金を回してしまい、かつストリング理論が事実上、その五大問題に回答できなかったことにある。

五大問題とは以下だそうである。
(1)量子重力の問題。量子論一般相対性理論を、自然の完成した理論であると言える一個の理論にまとめること
(2)量子力学の基礎に関わる問題。量子力学の基礎にある問題を、この理論をそのまま解釈するか、あるいは意味をなす新しい理論を考えるかして、解決すること
(3)粒子と力の統一問題。いろいろある粒子と力を、根本的なひとつだけの存在の表れとして説明する理論で統一できるか、はっきりさせること
(4)素粒子物理学の標準モデルの自由に決められる定数の値が、自然界でどう選ばれるかを説明すること
(5)ダークマターダークエネルギーを説明すること。ダークエネルギーを含む宇宙論の標準モデルの定数が、しかじかの値になっている理由を説明すること

「5つの主要問題のうち、ストリング理論は粒子と力の統一という一つの問題に、完全に答えられる可能性がある。ストリング理論が量子重力の問題に対する答えを指し示す証拠はあるが、それが指し示すのは、それ自身が答えであると言うよりも、せいぜい、量子重力の問題を解くもっと奥底の理論が存在する事である。ストリング理論は今のところ、残りの3つの問題のいずれも解決しない」
「何百人もの研究者人生と何億ドルもの資金が、この30年、大統一、超対称、余剰次元の兆しを求めることに費やされてきたと言っても過言ではない。その努力にもかかわらず、これらの仮説を支持する証拠は見つかっていない」

第3章で五大問題にあるいは答えられるいくつかのアプローチが説明される。ここは非常に面白かった。まず特殊相対性理論が怪しい、次に量子力学も根本から書き換えられなければならないだろうというのがスモーリンの感触だ。要するに20世紀の物理学の金字塔は一度根本からの作り直しを迫られているということだ。特殊相対性理論については、二重特殊相対性理論プランク長さが不変だという理論)が挑戦している。量子重力の分野では、もっとすごいことになっている、

「最近は、量子重力の研究をしている者はたいていが、因果性こそが根本だと−したがって、空間の概念が消えた水準でも意味をなすと−信じている。量子重力への取り組みで、これまで一番うまくいったものは、この3つの基本的な考えを組み合わせる。空間は創発するもので、離散的な記述の方が根本的で、この記述は根本的な形で因果性を含むということである」

こうも言う。

「私は時間が要(かなめ)なのではないかと強く思っている。量子論相対性理論は、時間の本性については根本のところで間違っているのではないか。両者を統一するだけでは十分ではなく、たぶん物理学の起源にまでさかのぼるような、もっと深い問題があるのだろう。
われわれは、時間を解凍する方法をも見つけなければならない−時間を空間に変えることなく表す方法である。それをどうすればいいかはわからない。世界を永遠に凍結されているかのように表さない数学など、考えつかない。」

われわれは再びアインシュタインやボーアを、予見者を必要としている。

2024.1.1追記 (15年後)
・この記事の時間の重要性についての部分はより強く認識されるようになっている。カルロ・ロベッリの『時間は存在しない』であったり、面白い話題は多い。また、生物学的な時間をどうsenseしているかについてリアルな研究が行われていることも興味深い。
量子力学についてはここで書いている私の理解は随分浅い。ベルの不等式などにはじまる不確定性原理のより深い理解は量子力学の実際的な部分を大きく変えているし、「量子情報理論」はそもそも量子力学の基礎付けの変更を通じて量子力学の再構築を狙うものであり、結果として40年前に物理学教室で教授されていた量子力学の謎めいた側面が実は謎ではなかったという形で理解されることを期待している。