エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

エンジニアリング

先日、Y財団の交歓会に参加した。正八面体の錯体の自己集合過程を計測する大変独自な方法を開発したchemistのtalkを聞いて大変感心する。報告の後の懇談会でよもやま話をしていて、「うまくいっていることを確認する方法があいまいなので、新しい実験系の開発は難しいですね」というところで意見が一致した。


ジョージ・ダイソンの「チューリングの大聖堂」を読む。

2つの繰りこみ理論が等価であることを示した超秀才で、卓越した文章も書けるフリーマン・ダイソンの息子が書いた「フォン・ノイマンと高等研究所でのMANIC開発を中心に据えた、コンピュータ創世記」の決定版といえる大著。ほとんど知られていなかった一次情報が山盛りであり、さらに、キレのあるアイデアがあちこちで見つかるので、大変面白かった。


「最近のコンピュータの展開で最も成功しているもの ―サーチエンジンSNS― は、デジタル・コード化システムとパルス周波数コード化システムを掛け合わせた非線型コードによっており、線型の完全デジタル・システムは時代遅れとなりつつある」というのは業界の人なら常識なのかもしれないが、現行のPC = デジタルという考えを疑ったことのない素人には不意を突かれた感じだった。考えてみると確かにそういう見方のほうが真っ当で、そうだとすると、コンピュータには論理的推論(つまりは計算)しかできないという"定説"をはずして認知科学を考える必要がありそうだ。

そうなると、コンピュータが知性をもちうるか(これは「コンピュータが心をもちうるか」という問題とは別に設定できると個人的に思っている)という問題にいろいろと新たな視点が開けることが本書の最後のあたりで出てくる。引用されているアルヴァーンの「巨大コンピュータの物語」という本も面白そうだが、こういう一言でまた不意を突かれる。

「たった60年前、このコードの祖先はほんの2、300行の長さで、次のアドレスを特定するのにも人間の支援が必要だった。人工知能はこれまでのところ、人間が常に注意を払ってやる必要がある ― 新生児たちが使う戦略だ。真に知性ある人工知能は、われわれに自分をさらけ出すことはないだろう」

こういう話自体はSFではずいぶん以前からある設定で、探せばいくつも書名を並べることはできるのだろうが、原爆・水爆の開発とまったく平行して進められたMANIC開発についての重厚でリアルな歴史と人物の記述を背景にすると、迫力が違う。


話を別の方向に向けると、第10章ではモンテカルロ法のそもそもの話が書いてある。モンテカルロ法は学部でしっかりやらされたし、威力は十分知っているはずなのだが、「そもそも」という話は聞いたことがなかった。すっかり感心したが、書いてあることがどの程度当を得ているのかは考えてみなければならないだろう。

モンテカルロ法が、さもなければ解答不能な問題に実際的な解をなぜ見出すことができるのかといえば、それは、未知の領域を探索する最も効率のよい方法を追求すると、ランダムウォーク法というやりかたに行き当たるからだ。今日のサーチエンジンは、ENIAC時代の祖先から遠く下った子孫だが、それでもなお、モンテカルロ法が源だという痕跡を帯びている。それは、ランダムサーチの経路は統計的に評価され、得られる結果の精度が積算によってますます向上していく、という特徴である。モンテカルロ法―そしてその子孫であるサーチエンジンたち―では、圧倒されるような量の情報のなかで意味のある解を抽出するわけだが、それは、「意味は最終到達点におけるデータではなく、途中の経路そのものにあるのだ」という認識に立って可能になる。これこそモンテカルロ法の真髄といえよう」

モンテカルロ法は、マクスウェルには想像することしかできなかったであろうものを、デジタル計算によって実現したものだ。つまり、まるで「われわれの能力と手段が著しく研ぎ澄まされて、個々の分子を検出して把握し、その経路のすべてにわたって追跡できるかのように」物理系をその基本的なレベルで実際に追跡する方法が実現されたのだ」

そして、(個人的には)意外なことに、ここに「不完全性定理」が出てくるのだが、フォン・ノイマンつながりと思えば自然な流れかもしれない。        

「ここから彼(スタン・ウラム)は、『ゲーデルの定理のひとつの意味は、これらのゲームの性質の一部は、それを実際にプレイしないことには究明できないということである』との結論を引き出した。その本当の意味はまだ完全には理解されていなかったとしても」


平行してクマールの「量子革命」を読んでいるが、これも名著だと思う。