エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

意識する心

金曜日に新橋で古い友人に会っていろいろな話をした。変わらない友達というのはいいものである。


デイヴィッド・チャーマーズの「意識する心」を読む。

意識する心―脳と精神の根本理論を求めて

意識する心―脳と精神の根本理論を求めて

1996年に出版されたmind-body problemの金字塔と言われる名著だが、逆にあまりにあちこちで引用されているので、「おおよそこんなもんだ」と思って棚上げにしてしまっていた。夏休みということでようやく読了。

チャーマーズの立場は自然主義的二元論だとは聞いていたが、なるほどこういうものかというのが率直な感想である。

「たとえ意識が還元によって説明できないとしても、それでもやはり意識の理論は存在しうる。ただ、そのかわり非還元的理論に向かって進まなければならない。意識の存在をもっぱらもっと基礎的なものを用いて説明しようという試みに見切りをつけ、そのかわりに意識を根底にあるものと認め、それが世界の他のあらゆるものとどう関係しているかを説明づけていけばよい。
 そのような理論は、物理学が物質について、運動について、あるいは時間や空間について与えてくれる理論と同類になるだろう。物理理論はこうした特徴を何かもっと基礎にあるものから導きはしない。しかし、それでも物理理論は質量や空間や時間について、それらの相互作用について内容のある詳細な記述を与え、その結果、われわれはそれらを巻き込む特定の事象に満足できる記述を得ている。物理理論は、さまざまな特性を巻き込む単純で強力な一群の法則を与えることでこれを行い、ありとあらゆる個別的な事象は結果としてそこから導き出される」

「そしてもし特性二元論が正しければ、私には私の脳以上のものがある。私は物理特性と非物理特性の双方で構成されており、そのどちらか一方に焦点を合わせたのでは、私について語りつくすことはできない。とりわけ、私の信念の正当性は私の物理的特徴だけで生じるものではなく、私のある非物理的な特徴、要するに経験そのものによって生じるのである」

二元論というところだけ聞くと眉につばをつけたくなってしまうが、こういう具合に議論を広げる立場があるというのは勉強になった。もっとももちろんいきなりここには来ないわけで、チャーマーズの推論の前提は以下のとおりである。

「私の見解を支える議論は、大雑把にいって以下の4つの前提からの推論である。
1 意識体験は存在する
2 意識体験は物理的なものに論理的に付随しない
3 物理的事実に論理的に付随しない現象があれば、唯物論は偽となる
4 物理的領域は因果的に閉じている」

この付随性という概念の説明がいかにも哲学という感じでこまごまとしている。この部分を読み通すのは正直大変で、呼んだ後でもこまごまとした部分は正直ほとんど頭に残っていない。


では、意識の理論とはどういうものかというところで、チャーマーズは意識の理論についてのいくつかの要請(手がかり?)を挙げる。構造的コヒーレンス、機能構成、情報空間といったものである。このあたりは読んだ分だけはわかるが、当たり前のことだが十分納得できるというものではない。それでもこれだけつかみどころのない話を腕力でこれだけ詰めていくのは読んでいて感心する。

「私は意識体験はきめの細かい機能構成から生じると主張する。もっとはっきり言えば、何かあるシステムが意識体験をもつのであれば、それと同じきめの細かい構成を持つシステムはどれも質的に同一の経験をすると主張する。構成不変の原則を肯定するために論じるのである」
「機能構成というのは、システムのさまざまな部分の間にある、そしておそらくこれらの部分の間に、そしてこれらの部分と外部が交わす入出力の間にある因果相互作用の抽象的パターンと理解するのが一番いい」

このあたりは強いAIを認めるチャーマーズの本領発揮というところだろう。

いろいろ留保したいところはあるが、ひとつの意見としては参考になる。ただこれを科学にするまでの道のりはまだまだ見えないというのが正直なところで、近刊の"The character of consciousness"でそのあたりがどこまで詰められているかを見てみたい。