エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

世界のジェネレーターは見えない

朝、バスを待っていると、北大路の街路樹が8割がた葉を落とし、道の向こうにある和菓子屋さんが小豆を炊いている煙が見えるようになった。来た冬を感じる、同時に暖かくもある光景だ。


ナシーム・ニコラス・タレブの「ブラック・スワン」を読む。

生協書籍部のいつもの巡回コースに、この本が上巻下巻そろえて2x3くらいの感じで平積みにされているのに気づいて2ヶ月あまり。勝間和代クルーグマンが並んでいる経済書コーナーだ。気にはなっていて、しかもいろいろなところから激賞の声も聞こえていたのだが、ぱらぱらと読んだり、目次を眺める分には特にぴんとこない。こないのだが平積みが3ヶ月目になったあたりでついに辛抱しきれなくなって読み始めた。

やはり、いきなりは来ない。1章を「のそのそ」と読んでも来ない。しばらくそのまま。今度は目次で面白そうなところから読み始めてみる。でも、どうやらそういう読み方を許す本でもないらしい。

ところが、先週末、偶然が重なって読みたい本が手元に無くなり、これを手にとったところ、3章くらいから完全にはまりこんで、一気に読んでしまった。あ、これは確かに快作だ。

タレブは、自分を懐疑主義実証主義者と位置づけている。現役のデリバティブ・トレーダーにして不確実性科学の研究者。

複雑系べき乗則というカテゴリーに入れてしまいそうになるのだが、読み進めていくうちに、こいつはその向こうのことを語ろうとしているんだと気づくと身震いがする。そういう本だ。


表紙の見返しにこうある。
ブラック・スワンとは、まずありえない事象のことであり、次の3つの特徴を持つ。予測できないこと、非常に強い衝撃を与えること、そして、いったん起こってしまうと、いかにもそれらしい説明がでっち上げられ、実際よりも偶然には見えなくなったり、あらかじめ分かっていたように思えたりすることだ。googleの驚くべき成功も9・11も黒い白鳥である」


キーワードは果ての国(黒い白鳥がいる国、つまり「現実」)と月並みの国(厳密なモデル、あるいはガウス分布で物事が起こるプラトン世界)の対比だ。

「数学が何らかの形で偶然を捉えると仮定し、現実の世界をほんの少し定式化してみようと思うのなら、ベル型カーブで表現できる弱いランダム性を使ってはだめだ。拡張可能な強いランダム性を仮定しないといけない。定式化できる部分だって、だいたいはガウス的ではなく、マンデルブロ的なのである」
「はっきりさせておくと、プラトン的とは、天下りで型にはまっていて、凝り固まっていてご都合主義で、陳腐化した考え方だ。非プラトン的とは、たたき上げで開かれていて、懐疑的で実証的な考え方だ」
「ポワンカレ自身は、ガウスの流儀をあまり信じていなかった。ガウスの流儀やそのほか同じようなやり方で不確実性をモデル化するのを見かけたら、彼は胸が悪くなったんじゃないかと思う。ガウス分布は、最初は、天体観測での誤差を扱うための分布だったことと、ポワンカレが考えた天体の運動のモデルは、もっと深遠な不確実性の感覚でいっぱいだったことを考えてみればいい。
 ポワンカレは友達の一人に宛てた手紙でこう書いている。とある「著名な物理学者」に文句を言われたという。物理学者がガウスのベル型カーブをよく使うのは、数学的にそうしないといけないと数学者が信じていると思い込んでいるからだそうだ。で、数学者がそれを使うのは、経験的にそうなっていると物理学者が発見したと思い込んでいるからだった」


もうひとつのキーワードは、カール・ポパー的な実証主義懐疑主義である。

「バカ正直な実証主義を避けるいい方法がある。私が言っているのは、裏づけになる事実をいくら集めても証拠になるとは限らないということだ。白い白鳥をいくら見ても黒い白鳥がいないことの証拠にはならない。でも、例外はある。命題が間違っていればそうとわかる。でも。命題が正しいかどうかは分かるとは限らない。黒い白鳥を見たら、すべての白鳥が白いというのは間違いだという証明になるのだ。−反例を積み重ねる事で私達は真理に近づける。裏づけを積み重ねてもダメだ!観察された事実から一般的な法則を築くと間違いやすい。通年とは逆に、私達の知識は裏づけとなる観察結果を積み重ねても増えていかない。疑い続けたほうがいいものもあるし、間違いないと考えてもいいものもあるが、観察してえられるものは一方に偏っている。そんなに難しい話ではない」
「そう考えてくると、「因果」という概念はとても弱いものであることがわかる。科学者もときどき因果めいたことを言ってしまっているし、歴史家はほとんどいつもこの言葉の使い方を間違っている。たとえどれだけ不安になろうと、私達は慣れ親しんだ「なぜなら」という考えの曖昧さを認めないといけない。私達は説明をほしがる動物で、ものごとには全て特定可能な原因があると思い、一番わかりやすい説明を唯一の説明だと思って、それに飛びつく。でも、目に見えないなぜならなんて、ないかもしれない。むしろまったく逆で、説明なんてなんにも、ありうる説明の範囲なんてものさえなかったりする」
「あなたに悪い癖を刷り込むのは大学の先生だけではない。第6章で書いたように、新聞は紙面を因果関係で埋め尽くして読者を講釈で楽しませないといけない。でも、誠実でありたかったら、「なぜなら」なんて、めったなことでは口にしてはいけない。歴史を振り返ってみた場合ではなく、実験から「なぜなら」が分かった場合だけにしておこう。−私は原因なんてものはないと言っているわけではない。ここでも議論を歴史から学ばない言い訳にしてはいけない。私が言っているのはただ、話はそんなに単純じゃないよということだ。「なぜなら」を疑ってかかり、注意して扱おう。物言わぬ証拠がありそうな状況なら特にそうだ」


ポアンカレポパーを持ち上げ、プラトン世界とガウス分布を思い切り引き落とした上で、タレブは、現役トレーダーらしく、<お勧めの行動>をリストアップしていく。

「a まず、いい偶然と悪い偶然と区別する。予測ができないことがとても有利に働きうる人間の営みと、先が見えないことで大きな害をなしてきた営みを区別する。
b 細かいことや局所的なことは見ない。黒い白鳥を厳密に予測しようなんてやめたほうがいい。全てを警戒し続けるのはまったく不可能だということを覚えておこう。
c チャンスや、チャンスみたいに見えるものには片っ端から手を出す。チャンスなんていうものはめったに来ない。思っているより稀なのだ。よい方の黒い白鳥は避けて通れない第一歩なのだ。だから黒い白鳥に自分をさらしておかないといけない。
こうして書いてきたお勧めの行動には一つ共通したところがある。非対称性だ。有利な結果のほうが、不利な結果よりもずっと多い状態に自分を置くのである」


ここまででもかなりすごいが、ラスト10分の1くらいから複雑系べき乗則の向こうにいくあたりがやっぱり圧巻だと思う。

「これら三冊の本(複雑系の本)に書いてあるアイディアは信じられるが、ああいうアイディアを本に書いてあるような形で使おうとは思わない。ああいうやり方が、著者達が思っているみたいに厳密だなんてなおさら思わない。実際のところ、複雑系の理論から私達が学ぶべきことは、現実を厳密にモデル化したものから科学的な主張が出てきたら疑ってしかるべきだということだ。複雑系の理論で白鳥がみんな白くなったりはしない。複雑系の理論は白鳥を灰色にする。灰色にしかならない。
 すでに書いたように、認識論的には、現実からものを考える経験主義者にとって、この世は文字どおり別世界だ。宇宙を支配する方程式を読むべく座して過ごすことはできない。私たちは、ただデータを見て真の過程がどんなものかを仮定し、追加で得られたデータに方程式をcalibrateするだけだ。事象が起これば、それを自分が予測したものと比べる。普通、歴史は前へ進むもので、後ろへ進むものではないことを思い知らされるのは屈辱的である。講釈の誤りを意識している人間にとっては特にそうだ。実業家と言えばものすごく大きなエゴを抱えているものだが、そんな彼らも判断と結果の違い、厳密なモデルと現実の違いで、自分の愚かさをさんざん思い知らされている。
 私が言っているのは不透明ということだ。情報は不完全で、世界のジェネレーターは見えないということだ。歴史は私たちに種を明かさない。私たちは推し量るほかないのである」


そこで、私たちはマンデルブロの見知らぬ顔を見ることになる。