エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

猫を抱いて象と泳ぐ

昨日、今日と晴れて寒い。上の子にプレゼントされた晴雨計によれば今日はこのまま晴が続くらしい。

小川洋子の「猫を抱いて象と泳ぐ」を読んだ。

猫を抱いて象と泳ぐ

猫を抱いて象と泳ぐ

帯には、「伝説のチェスプレーヤー、リトル・アリョーヒンの密かな奇跡」と書いてある。物語は7歳の主人公のつつましい孤独から始まり、太りすぎてバスを運転できなくなったチェスの師匠との出会いを経て、リトル・アリョーヒンのさまざまな戦いと突然の死で終わる。

こういう小説がごくたまにある。読んでいる間、別の世界に入り込んでしまう読書。ここではない世界の、しかし日常を描いた物語。

「哲学も情緒も教養も品性も自我も欲望も記憶も未来も、とにかくすべてだ。隠し立てはできない。チェスは、人間とは何かを暗示する鏡なんだ」と師匠は、主人公に説明する。

主人公が最後の2年を送った老人専用マンションで老名人の葬儀の時に総婦長に名人の強さを説明する会話。
「相手を脅したり、自分を強く見せかけるための無口じゃありません。純粋に自分を消すための静けさです」
「そのことと、チェスが強い、弱いは関係ある?」
「もちろんです。チェスは自分の番が来たら、必ず駒をうごかさなければいけないゲームです。パスはありません。たとえポーンが一升前進するだけだとしても、常に盤上では駒が動き続けているんです。にもかかわらず、静かでいられるなんて、強いからこそ到達できる境地です」
「あの人、そんなに強かったの?ただのお喋りなおじいちゃんかと思ってた」
「とんでもない。自分のちっぽけな頭で考える戦略より、チェスに隠されている世界の方がずっと果てしなく、真実にちかいはずだと信じていた、見事なチェス指しです。だから自分を捨てて、チェスの海に飛び込んだんです。目を閉じて、力を抜いて、息さえ止めて、まるで死んだようになって、、、」

読んでいた時間の幸福感をずっと覚えていられそうな傑作。