エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

くらやみの速さはどれくらい

2004年のネビュラ賞受賞のSF「くらやみの速さはどれくらい」(エリザベス・ムーン)を読んだ。

主人公ルウは自閉症者(高機能自閉症/アスペルガー症候群)であり、21世紀半ばに設定されている小説の舞台では、自閉症の治療はかなり進み、患者の自立した生活が可能になっている。また発生期の治療で新たな自閉症は生じなくなっている。ルウは、コンピュータシステム開発の仕事をし、週に1回フェンシングの練習をし、そこで知り合ったマージョリに恋をする。ルウはある種の数学的天才で、パターン認識に異才を持つ。

たぶんこの小説の読みどころは、ルウの視点から語られる人間の生活と社会の姿だろう。それは繊細でしかも正確で、だからノーマルではない。その描写が塗り重ねられていくと次第に読者はルウの疎外感を共有できるようになる。少なくとも私はそうだった。

「「彼女はスパイよ、ルウ」エミーはもう一度言う。「彼女はあんたの病状分析に興味があるだけで、人間としてのあんたには興味はない」
 胸の中に穴があいたような気分がする。マージョリは研究者ではないと思うが、あまり確信はない。
「彼女にとってあんたは出来損ない」とエミーは言う。「被験者よ」彼女は被験者という言葉を猥雑な口調で言った、私が”猥雑”の意味をちゃんと理解しているとすればだが。ひどい。迷路の中のネズミ、檻の中のサル。私は新しい治療法について考える。それを最初に受ける人間は被験者、彼らがはじめにそれを試みた猿と同じもの。」

ルウが働く会社は、開発中の神経治療法を買い取り(それは自閉症者をもう一度発生過程まで戻し、社会性を再獲得させることができると期待されている)、サルで有効であったことを人間で試そうとして、ルウたち自閉症者のチームに強制しようとする。ルウはそれが何を意味するかを知ろうとして神経科学を勉強する。

「その章の最後のページで見つけたある文章に私は圧倒され、私は読むのをやめてそれを凝視した。『本来、生理学的機能はさておいて、人間の脳は、パターンを解析し発生させるために存在する』
 息が止まる。体が冷たくなり、そして熱くなる。これこそまさに私がしていることだ。もしこれが人間の脳の本質的機能だとすれば、私は出来損ないではなくノーマルなのだ」


そして本書の最後の5分の1で、ルウの決断が描かれる。

この本の細部が私の心を動かす。人との間に隙間を感じる時の自分の感覚がルウの独白に重なってくる。評価は星4つ。