エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

医療崩壊

小松秀樹の「医療崩壊」を読む。

医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か

医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か

研究室に脳外科から来ている超優秀医師Hさんが珍しく机で単行本を読んでいる。何を読んでいるのだろう、と隣の病理医Tさんに聞いたら、大学病院の医師の間で話題になっている本だという。それにしても「医療崩壊」とは穏やかでない。

2002年12月に、慈恵医大青戸病院で、腹腔鏡下前立腺摘出術時のミスで患者が死亡し、翌年9月に医師3名が逮捕された。「経験もないのに、腹腔鏡手術をやりたがって医療ミスをした」という論調で大々的に報道された。この本を書いた虎の門病院泌尿器科部長小松秀樹氏は、この「慈恵医大青戸病院事件」にコミットし、いろいろ経緯があって、検察に意見書を出した。それを一般向けに書き直したのがこの本だという。

結論はこうだ。
「医療とは本来どういうものかについて、患者と医師の間に大きな認識のずれがある。
患者は、現代医学は万能であり、あらゆる病気はたちどころに発見され、適切な治療を行えば人が死ぬことはないと思っている。医療にリスクを伴ってはならず、100パーセントの安全が保障されなければならない。善い医師の行う医療では有害なことは起こりえず、有害なことが起こるとすれば、その医師は非難されるべき悪い医師である。医師や看護婦は、労働条件がいかに過酷であろうと、誤ってはならず、過誤は費用(人員配置)やシステムの問題ではなく、善悪の問題だと思っている。
これに対し、医師は医療に限界があるだけでなく、危険であると思っている。適切な医療が実施されても、結果として患者に傷害をもたらす場合が少なくない。手術など多くの医療行為は身体に対する侵襲(ダメージ)を伴う。個人による差異も大きい。死は不可避であり予測できない。どうしても医療は不確実にならざるを得ない。同じ医療を行っても、結果は単一にならず分散するというのが医師の常識である」

医療事故があると、つい報道に流されて「犯人探し」に関心がいってしまうが、そういう被害者に情緒的に寄り添った関心の持ち方が、医療システムをゆがめてしまうことに対する警告が、文中で何度も繰り返される。
「私は医療における死の全体像をつかまないで、医療における死に関する罪を決めることは、明らかな誤りだと思う」

医療と司法の問題は根が深いが、司法がマスコミを世間と思い、マスコミが被害者に情緒的に寄り添った報道をし続ける状況が、医療関係者を追い込んでいる。
「手術の結果が悪いからといって、あとから技量を評価し、処罰すべきかどうかを判断する事が正当だとは思わない。手術の技量が問題になった場合、術者間の許されざる技量の差か、民事責任を負うべきものなのか、業務上過失致死傷になるのか、事後にはどうり的に判別できない。ましてや、医療についての専門的知識に乏しい警察官が、業務上過失致死傷に相当するかどうかを判断する事は危険極まりない。多くの医療関係者は恐怖感を抱いている」

実は、同じ問題を扱ったミステリー「イノセントゲリラの祝祭」(海堂尊)を平行して読んでいたのだが、この話題はノンフィクションの方がずっと深かった。