エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

数学幻視行

昨日の晩は、家族で「竹くらべ」に和食を食べに行った。狙いは鱧である。
http://www.takekurabe.com/

4000円のコースを1人前頼んで、後は単品を追加。
はものたたきはさすがに美味しい。鳥のから揚げのポン酢付けは、黒酢が爽やかで子供たちも喜んで食べた。なすと高野豆腐の炊き合わせは、だしの美味しさがよくわかった。十分合格点のいい店だった。結構お酒を飲んで全部で1万2千円なので、勘定もリーズナブル。

小島寛之の「数学幻視行」を読む。

数学幻視行―誰も見たことのないダイスの7の目

数学幻視行―誰も見たことのないダイスの7の目

数学、物理学、経済学において「霊域」というものが、いかにパラダイムを進めてきたものかということを説明する。霊域とは、ある種の循環性、曖昧性、事象や精神の実在性と説明される。

「「数学は何の役に立つのか」をテーマに考えますが、まず結論から述べましょう。
数学は私たちの心の中にあり、私たちの生そのものである。とってか価値を問う事自体が全く無意味である。確かに生徒をはじめ多くの人々が性懲りもなくこの質問をします。しはしそのたびに、それがいかに残酷な問いであるか、ということを質問者は思い知らされなければなりません。なぜならばその問いは、「あなたはなんの役に立つのか、生きていて何の価値があるのか」と問う事と同値だからです」
「言語、数、貨幣、時間が、筆者の考える四大「霊域」である。科学とは、この4つの「霊域」を土壌にして、現実に向かって成長する樹木なのである。もちろん、循環論や迷信や妄想に陥る危険性は排除できない。しかしだからこそ、まだ見ぬ真理の果実を手に入れうるのである」
「物理学の発見は、根本のところでは数学を必要とせず「直観」され、むしろ既存の数学「記号」に新たに生命を与える力を持っていたといっても過言ではないでしょう」
「近代科学は、これまで執拗なまでに「客観性」というものを追及してきたわけですが、ここにきてそれを放棄し、まったく新しいタイプの論理をこうちくしつつあります。「客観」と「主観」を合併すること、交錯させることです。それはまさに私がこの稿で論じている「霊域」と言う領域に接近する作業なのです」

循環論や自己言及性がパラドックスの源であることはいろいろな形で示されているが、小島寛之はまさにそれが創造の源でもあると論じる。紙数の限界もあり、その論証は荒くて比喩に寄りかかっているのが惜しい。