庭の朝顔が薄紅色と水色の花をつけている。今年も良く咲いた。
篠本滋の「脳のデザイン」を読む。
- 作者: 篠本滋
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1996/03/15
- メディア: 単行本
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篠本滋は京大物理学教室の神経回路網理論の研究者。熱血のホームパージでその筋で知られる。
http://www.ton.scphys.kyoto-u.ac.jp/~shino/students.html
本来理論家の著者が、1年間のイギリス留学中に神経生理学を勉強した成果を世に問うたのがこの本だ。そういう経緯なので、難しいことがかいてはいないが、ひととおり神経生理学にさわってみるには十分だと思う。対話スタイルにしたのもポイントが高い。
「神経系には保存則のようなものは存在しそうにないですから、神経細胞集団の活動の平均、というような量を測定したとしても、それがただちに異なる階層の記述に関連するという構造にはなっていません」
「中間期記憶系というものが存在するかどうかというのは、、心理学的には曖昧な問題設定かもしれません。しかし神経生理学的には、海馬が独立した記憶系として記憶を蓄えているという場合と、記憶系の一部として補足的に働いている場合とでは、想定する神経経路が異なってくるので興味があるわけです」
「先天性の盲目の人の持つ空間感覚というのは、果たして3次元という感じなのかどうか。数学者のセミノビッチ・ポントリャーギンは後天的な盲目ですが、ある人が「どうすれば高次元空間の様子を思い浮かべることができるのですか?」と彼に質問したところ、彼から「あなたにはみえないのですか?」と揶揄されたという話を聞いたことがあります。
ポントリャーギンの話を真に受けるなら、彼の頭の中には高次元の空間知覚があるということになる。我々の場合、目が見えるということがかえって、さまたげになって高次元の空間知覚が持てないということなのかもしれない。
盲目の人のほうが高い空間を感覚できるというのは、何か理由があるのかな?
運動の筋肉制御は次元が高いですね。例えば片腕だけでも7個以上の自由度と数十もの制御筋があるといいますから、筋肉制御のモジュールに接していると高次元空間を感じやすいということはあるかもしれない」
障害という自由と、健常という不自由というのは言いすぎだろうか。