NHKが全英のテニスの再放送をしてくれたので、家内と見入る。すばらしい試合だった。今まで見た中で一番印象に残っているテニスの試合は、20年前にみたマッケンロー対レンドルの全仏だったが、それに匹敵する。家内は、どうやらテニスを習いに行く事にしたらしい。その気持ちはわかる。
ポール・ディヴィスの「時間について」
- 作者: ポール・デイヴィス,Paul Davies,林一
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1997/01
- メディア: 単行本
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まえがきにこうあった。
「本書を読み終えた時、読者が前よりももっと混乱しているといったことさえ起こるかもしれない。それは大いに結構だ。なにしろ私自身、本書を書き終えて、前よりもいっそう混乱したのだから」
時間の物理学とはそういうものだろう。そもそも人間は意識のチャンネルを通してしか時間にアクセスできない(まあそれはあらゆる物理量についていえるので、本当の難しさは別のところにあるのだろうが)。
「時間は、粒子の位置と運動の軌跡が通常の量子力学のなかで消えてしまったのと同じ仕方で、量子的曖昧さのなかに蒸発してしまった。量子宇宙論は、時間を、神秘家の変性意識状態と同じように、確かに廃止してしまった。この理論の典型的な量子状態の中では時間は完全に無意味である」
「われわれの宇宙の量子状態は、幸いにも、宇宙がビッグバンから発展するにつれて、原初のごたまぜから漠然としたはっきりしないやり方ではあるが、時間が出現してくるのを許すような、非常に特殊な状態の一つである。
これはいいニュースである。というのは、どんな種類の時間もないとすれば、宇宙の中に生命が存在する事はむずかしいだろうからだ。もしこの考えが正しい道に沿っているとすれば、われわれの生命と物理的世界の記述にとって致命的に重要な「時間」と呼ばれる量は、宇宙の基本法則とは関係のない、完全に二次的な概念であると判明するかも知れない」
唖然としたのは、時間反転した世界についてのこのくだりである。
「われわれの脳内過程は、宇宙の残りの部分と同じ物理学に依存しているので、それらは時間反転した世界では、それに付随した意識の流れや記憶や推論過程と同じように、やはり反転しているだろう。言いかえると、われわれはこのような世界ではさかさまに知覚し思考するだろう。われわれの心的活動は論理的推論や因果律と合理性のような概念も含めて、やはりすべて逆転しているだろう。そのために、時間反転した生き物は、時間反転を全然感じないだろう。その生き物にとっては、全てが正常に見えるだろう」
うーむ、くらくらする。この話に終わりがあるのだろうか。