エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

神義論

バート・D・アーマンの「破綻した神キリスト」を読む。

破綻した神キリスト

破綻した神キリスト

アーマンは若年の頃からのキリスト者で長じて聖書学者となる。同時に若い頃から「なぜこの世に苦しみがあるのか」について考え続け、ついに50歳になって、信仰を捨て「不可知論者」となる。この本で、アーマンは、なぜこの世に苦しみがあるのか」についての聖書に現れる4つの考え方を説明していき、自分がそれに同意できない理由を書いていく。

神義論は17世紀のライプニッツに始まる。
・神は全能である
・神は愛である
・この世には苦しみがある
この3つの命題を同時に真とするにはどうすればよいか。それが神義論である。

近所に教会がある。日曜礼拝の題を書いたプレートが掲げてある。自分はごく普通の世俗的な人間だが、それとは異なる価値観で生きている人たちがいることを感じるとき、ほっとするものがある。自分がこの世界で息詰まるときがきても、まだそれは終わりではない。世の中には違う価値観で生きていける道がある、と感じることができるからだ。

そういう人間にとって、不可知論なり、神の破綻を読むのはつらい仕事ではある。ただ、この本には知的に安易な道に逃げない誠実さが最後まで貫かれている。また聖書をそれが書かれたときの視点で見ていくという態度に徹している。その知的誠実さが最後にどこに連れて行ってくれるのかという興味で一気に読んだ。その結末をここに書くのはミステリーの結末を書いてしまうようなものなのでやめておくが、それなりに落ち着きのよいものであった。