エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

言語という障害

今日は朝から梅雨の走りのような雨。午後から近くのコンサートホールへパイプオルガンを聞きに行った。札幌コンサートホール専属オルガニストのシルヴァン・エリ氏。バッハから20世紀音楽までの13曲。なんだか随分行儀の良い人だった。演奏は熱のこもったものだったが、体調がいまいちのせいか、いつものように音楽に包まれる感じまではいかなかった。

片山洋次郎の「整体。共鳴から始まる気ウォッチング」

整体。共鳴から始まる―気ウォッチング (ちくま文庫)

整体。共鳴から始まる―気ウォッチング (ちくま文庫)

実用書でもあり、文明批評でもあり、哲学書でもあるのは、これまでの片山洋次郎の著作と同様。

一番心に残ったのは、言語は、世界と共鳴する気的コミュニケーション(たとえば幼児にとっての世界のやりとりとはそういうものであろう)を不完全なものにしているという意味で、一種の「脳障害」とみなすことができるという指摘である。確かに、ヒトは言語によって世界を対象化し理解しているが、その代償として、全身体的な交流に基づく直感的理解の能力を喪っているのだろう。

気学という共鳴の美学は、近代社会およびポスト近代社会が徹底して見ないことにしていたものに着目して、独自の哲学で読み解くものである。その言は、常識の硬い殻をやぶって素の心にしみてくるものがある。時間をおいて再読したい。