エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

歴史は貪欲に「正のエントロピーを食べている系」だ

松岡正剛の「知の編集工学」を読む。

情報整理のハウツー本ではない。方法論の形を借りた世界観の提示である。

編集工学の準備として奇妙なエクササイズを行ったことが書いてある。自分の頭の中で動いている編集プロセスをリアルタイムで観察するというエクササイズだそうである。自分の思いが流れているままに、そのプロセスを同時に観察するということ。どう考えても難行である。

「編集とは、該当する対象の情報の構造を読み解き、それを新たな意匠で再生するものだ」
「私たちは「記憶の構造に情報をあてはめている」のではなく、おそらく「編集の構造を情報によって記憶していく」のではないか、ということになる。つまり、記憶はシステムの特性なのである」
といった文言が記憶に残る。

また、述語的統一への親近感も語られる。
「編集工学ではしばしば「述語的であること」を重視する。それは編集工学がもともと分類的編纂性よりも、形容的編集性を重視しているからだ」
「デイビッド・ボームのちょっと変わった言語実験だ。「動詞だけで認識や分析が進められるような表現方法をつくったらどうか」というもので、それなら思考が主客を分断させないだろうという提案だった」

終わり近くになって歴史がどう編集されてきたかへの言及がある。
「歴史はむしろ混乱を好むのだ。それは情報とエントロピーの法則に似て、つねに擬似的にではあれ、熱死に臨もうとするものなのである。とするなら、生命が「負のエントロピーを食べている」のに対して、歴史は貪欲に「正のエントロピーを食べている系」だということになる、そして歴史がつくる<編集的創発性>は、個人の想像力の中にのみ花火のようにスパークしているだけだということになる」

書きたいことがあふれているせいか、文章全体としての統一感がややうすいが、あちこちで考え込ませる仕掛けが待っている。知的刺激にあふれた本である。