エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

知的生活者のマニフェスト

職業は分子神経科学者と名のっている。職業との積極的関係ははっきりしないが、自分のことを知的生活者だと思っている。高校生の時に渡部昇一の「知的生活のすすめ」を読み、好きが高じて、それをねたにスピーチコンテストに出た時以来であるから25年を過ぎることになる。

そうやって過ごしていると、自然に興味の対象は絞られてくる。まとめてみたらとりあえず5つあった。このブログはできればその周辺を巡りながら書いていきたい。マニフェストと掲げた由縁である。とは言え週末の知的生活者に過ぎないので、実体は身辺雑記に毛のはえたようなものになるはずである。

(1)量子力学観測問題
無闇と量子力学が好きである。物理学科に入ったのは量子力学(と相対性理論)が勉強してみたからだったと記憶している。どういうわけかニールス・ボーアがその頃からひいきだった。相補性原理と言ってみる時のわかるんだかわからないんだかあいまいな気分が無闇と好きだった。その気分が変わったのは7、8年前からである。ファインマンが「光は粒子でも波動でもない、量子なんだ。そして量子を理解している人間は(物理学者を含めて)ひとりもいない。それでいいんだ」と書いているのを引用文で目にしたのがきっかけである。自分でも自覚していなかった胸のつかえがその時すっととれた。急に量子力学の景色が違って見えてきた。観測問題への興味はそのすっきり感を追体験したいという気持ちがどうも奥にあるようだ。

量子力学の奇妙なところが思ったほど奇妙でないわけ

量子力学の奇妙なところが思ったほど奇妙でないわけ

(2)整理されたものではなく、構築されていくものとしての数学的思考とはどういうものか。
物理学科に入れば自動的に数学ができるようになるわけではもちろんない。そういう人間は周りに1割ほどだったろうか。もちろん分野で好き好きはわかれ、私は複素関数論が気に入っていた。と言えば数学好きには私の数学的能力の限界はすぐに見当がつくに違いない。職業は分子神経科学者なので放っておけばどんどん数学は遠くなる。そうして15年くらいたったろうか。森博嗣の5冊組のブログ本のあるところに、「気分の晴れない時は、「数学的経験」を開いてその中の世界に遊ぶ」と書いてあった。

数学的経験

数学的経験

その時以来、この本は私の積読書籍のベスト3である。ごくたまに拾い読みして少しいい気分を吸い込む。そうしているうちに、「数学的思考は、人間の思考と言語の流れに反している」(素数に憑かれた人たち、ジョン・ダービシャー)というような言葉が目に入ってきて、意識への関心とも連動し始める。

(3)マクロなレベルでの自律的科学としての非線形科学・複雑性の科学とはどういうものか。
20年以上前の「ニューエイジサイエンス」(既に骨董品的価値がある)の洗礼を人並みに浴びて、「カオス」を始めとして少し手を出してみたが、計算計算の毎日を送っていたので、たぶんに他人事であった。ある時、共同研究者であるS氏に「自分は非線形科学者である」と言われ、少し驚いた。気分は浦島太郎である。いつの間に世間はこうなっていたのか、である。それが気になっていたのか、あるとき蔵本由紀の「新しい自然学」を買っていた。

新しい自然学―非線形科学の可能性 (双書 科学/技術のゆくえ)

新しい自然学―非線形科学の可能性 (双書 科学/技術のゆくえ)

しばらく積読だったが、国立文楽劇場に国姓爺合戦を見に行く京阪電鉄の行き帰りで通読し、一気に非線形科学が身近になった。特に非線形科学の述語性がすばらしい。私はアイデアを考える時に主語性と述語性を行ったり来たりしながら考えを先に進める癖がある。その部分を拡大して妄想すれば、ほとんど気分は非線形科学者である。あながち職業と無縁ではないので、元気な時はその線で何かしてみたくもある。

(4)人間の意識の起源
これだけ面白い実験が次々と報告される時代にあって、神経科学者と名乗って意識の問題に無関心であることは難しい。いい本を2、3冊読めば「無関心でない」から「常時頭の隅にある」までの距離はほんの一歩である。最近感心した本を挙げてみるとこうなる。

ユーザーイリュージョン―意識という幻想

ユーザーイリュージョン―意識という幻想

Synaptic Self: How Our Brains Become Who We Are

Synaptic Self: How Our Brains Become Who We Are

マインド・タイム 脳と意識の時間

マインド・タイム 脳と意識の時間

神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡

神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡

どうやらこうして並べてみると、精神活動の本体は意識でなく、無意識領域を含むなんだかそのあたりにあるという予感がひしひしと満ちてくる。この予感はどのくらいで実験でテストされるのかを考えるとわくわくする思いを禁じられない。

(5)因果律を持たない思想の可能性について
現在ひいきのSF作家はテッド・チャンである。特に「あなたの人生の物語」で語られている因果律を持たない思想は鮮烈な切れ味のアイデアだ。

あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)

あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)

昨年の晩夏、国際高等研の研究会に参加したときに、全ての物理学は変分原理で語りなおせるという1時間ほどのトークを聞いた。そのときは感心しただけだったが、その変奏曲が「あなたの人生の物語」の中で鳴り始めた時は静かな驚きだった。変分原理は勉強した時にどうも思想的に受け付けなかったが、(光が出発する前に自分の行き先を知っているなんてことがどうしてありうる?)経験的にこの種の拒絶感はその後のごひいきの前触れであることが多いので、どこかにそうした可能性を論じた本があったら読んでみたいと思っている。