エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

確率的発想法

小島寛之の「確率的発想法」を読む。

確率的発想法~数学を日常に活かす

確率的発想法~数学を日常に活かす

美味しいところがいろいろある、頭を刺激してくれる本だった。

ベイズ推定の説明は出色の分かりやすさ。いままでいろいろ本やネットを見てみたが、「条件付き確率とどうつながるのか」とか「主観的確率っていうのはつまりは何だ」とかがどうも腑に落ちなかった。

それがこの本で背景を含めて歴史的に説明されてようやくわかってきた。そもそも最初に考えられたのはベイズ逆確率による推定で、それがフィッシャー流の統計的推定モデルに攻撃されて一度ほぼお蔵入りした。それが、1950年代にいたってサベージの仕事(不確実性モデルを基礎付ける新しい公理系の案出)をきっかけにベイズ主義が復活し、特に「逐次合理性」という操作性の良さによって信奉者を増やして、最前線ではむしろ主流といえるまでに復活してきたというのがストーリーだ。受験数学の確率がしみこんでしまっていたために頭に入りにくかったが、小島氏の説明で、それなりの合理性を持つことが飲み込めたのは収穫だった。使えるようになるためには練習が必要だろうが、人の話を理解するにはとりあえずこれで足りる。

「私達は現実には、一度も体験していない行動に対しても、それなりの予想をたてて、参加不参加を決めたりしています。そういう意味では、ベイズ推定の方が私達の日常的な意思決定の方式に近いといえるのではないでしょうか」
「期待値基準は、大数の法則を基盤とする頻度主義(客観確率)に立脚する考え方ですが、期待効用規準の方は、人間の内面や心情や信念などを基盤とするベイズ主義(主観確率)に立脚する考え方なのです」
「私達が生きるこの世界には、それが「これから未来に起きる」ゆえに、あるいは、「起きてしまったが結果に対して十分な知識がない」ゆえに、不確実性が存在します。確率とは、この不確実性に対して、「推測」という形で現れる思考でした。とりわけベイズ主義の推測理論では、確率というものは人間の内面に生じる主観的なものであるとされ、人々の利益追求行動の中から二次的に表出するものと考えられています」

・週刊誌レベルの情報でフリードマン流の新古典派の経済学に触れただけだと、経済学がそもそも何を狙っているかが私にはいまいち見えなかった。小島氏の立場(効用最大化を疑い、その根本を洗いなおそうとする立場、ナイト流不確実性理論)は学問的には傍流なのだろうが、現実の人間性を素直に見て、なおかつ数理的に整理することで、単なる世間知ではないより深い真理に手を伸ばそうとするのが経済学だという見方には納得した。

・終章で、小島氏は「人は過去をも最適化したいと思っているし、またそうあるべきだ」という論点を提出する。これは表面的には合理的ではないが、あらためて考えてみると人情としてはごく自然な話だ。そして、「そうであったかもしれない世界」という確率概念へのアプローチを介して、「もっとも不遇な人々の厚生を最大化する(マックスミン原理)」という社会的公正の原理を個人の心情のレベルで(かつ経済学の理論の枠内で)裏付ける「未来の意思決定理論」への夢を語っている。

社会的公正というのは今の日本では、一方では「格差社会」という形で、触れれば血の出る問題でもあり、また一方では個人の殻に閉じこもり気味の現代日本人にとっては、論じるには気の重いテーマであると思う。それを理論として扱う道筋があるというのは、なるほど経済学というのは実のある学問だったのだ、というのが読後感だった。評価は4つ星半。