7日目はポンフェラーダまでの20キロの下り。
何ということのない街のようだが、絵になるなあと感心する。
今日の巡礼宿(アルベルゲ)は寄付で設立・運営されているそうで、宿泊無料だそうだ。
お遍路も無料で泊まれる寺があると聞いたことがあるがそんなものだろうか。
下の写真はそのアルベルゲのものだが、きれいな中庭で有名なのだそうだ。
8日目はほぼ100キロ先のサリアまで鉄道で移動するので、今日のうちに切符を買いに駅に行く。
6日目でそろそろ100キロ踏破か。
今日はイラゴ峠まで登ってそこから下るルートで20キロ。
峠の頂点に鉄の十字架がある。
映画にも出てきたし、どの本でも紹介されているのでかなり期待していたが、
組長的には先っぽに十字架があるだけで思っていたほど特に何もなかった気がしたそうだ。
(失礼な表現ですがご容赦ください)
その後はひたすら膝にくる下り。
6日目の宿は珍しくWiFiがつながっていないということでレストランから連絡が来た。
今日は12キロの道のりでそろそろ目的地に着くはず。
5日目はラバ・ナル・デル・カミーノまでの上り坂を20キロ。
巡礼宿は3つあるうちの一番街の入口近くに決めたが、泊り客二人と寂しい宿だった。
街中の宿には結構人が止まっていて、そこに泊まっていた日本人とバルでご飯を食べて情報交換。
ガスパチョ(量多すぎ)と牛肉のステーキとプリン。
組長はシナモンは食さないので、シナモンをよけてプリンを食べたそうだ。
6日目の朝は桃とチョコで早々に朝ご飯をすませて出発。今日も坂道。
組長は教会内散策と美術館鑑賞がセットになった券を買って見物したが
キリスト教関係の美術品が理解できなかったらしい。ほんまに巡礼かい?
日本人の大学生(山岳部)と同じ宿で情報交換したらしいが、基本体力が違うので
翌日は軽くぶっぎちぎられた。
そして5日目も上り坂で20キロ歩いたということだ。お疲れ様。
無事にマドリッドからレオンにたどり着いて、巡礼宿に泊まり8.5ユーロの夕食を食べた組長。
巡礼一日目は31キロを走破した。
巡礼者は結構いるらしいが、連れになりそうなフランス人(推測)についていったら
思い切り迂回路だったようでどの程度距離をかせげたのかいまいちわからない。
「飲み物買ったつもりが飲むヨーグルトだったときのわし」
疲労困憊で巡礼宿にたどり着き(なぜだかわからないが地図上にでてこないらしい)
カナダ人夫妻とドイツ人とテーブルで英語で話したような気がするということだ。
巡礼貝は買って首からさげているが、本には載っているひょうたんは売っていないし、
掛けている人もみかけないようだ。
というわけで一泊して、現在は巡礼二日目(スペイン3日目)の歩きの最中。
スポーツクラブへの行き帰りの道のさるすべりは片側はまだそれなりに花をつけているが、空はすっかり様子が変わった。
ジェイムズ・バラットの「人工知能 人類最悪にして最後の発明」を読む。
この本を読んで印象に残った点は3つ。
1つは、人工知能の思考プロセスの母型となるであろう遺伝的プログラミング(またはそれとほぼ同等のプロセス)の
中身には、やはりブラックボックスの部分が相当残る(残っている)ということである。
効果的に働くものをまず試行錯誤的に作れたとしても(そういう意味では機械学習や深層学習も同じ)
なぜそれが有効に働くのかを「解析的に」理解するというのは、あるところからひどく難しくなる。
それが複雑系の問題であり非線型系の問題でもあるからだ(たぶん)。
深層学習についても、パラメータ学習があるところから急に進むのは(あるいは不適切な条件だと進まないのは)
相転移の理論に基づいて説明できるだろうという方向で研究が進んでいるようだが、まだせいぜいそのあたりまでで、
10年単位でその部分が急に進むかどうかは量子コンピュータでも実用化されないとかなり怪しい(複雑系・非線型系なので)。
2つめは人工知能が最短で実現するとすれば、脳のリバースエンジニアリングが目に見えて進んだ場合が最も可能性が高そうだと
いうことだ。
機械学習や深層学習の基礎理論であるニューラルネットはこの数年で完全に一般性を確立したし、そのことが欧米日の
巨大・脳科学プロジェクトの原動力のひとつになったわけだ。
そして、巨大・脳科学プロジェクトの目に見える結果は2−3年単位で次々に更新されるだろうし、
今のところその行きつく先がどのような風景なのかはぼんやりとした予想の範囲を出ない。
でもそれは近未来(10-20年先)の話ではなく、たかだか5-7年の話だ。
小学校に入った子供が中学校に入るだけの時間で何かががらっと変わるのだとしたら
(そしてそれが人の雇用環境に大きな影響を及ぼすのだとしたら)、社会はその準備をしておく必要があるだろう。
3つめは、「ではAI研究にルールを作れるか」ということだ。前例はある。
遺伝子組換えの研究については同じような危機意識が世界中の研究者に共有され、アシロマ会議で自発的なルール化が
現実のものとなった。1975年のことである。
2008年の人工知能学会の集会はそのことを踏まえてアシロマで開かれたらしいが、それがどのようにガイドライン策定に
つながっていくのかは今のところ不透明なままである。
この本のあちこちで書かれている理由で、それはかなり困難、というよりほぼ不可能のように思える。
・人工知能の有力な応用のひとつが軍事利用であること、同じくひとつが経済・投機利用であること
・別の国に実用化されるのではないかという恐怖から開発を緩められなくなるであろうこと
「『実際の生きたAGIが金融市場から姿を現すのは当然ありうることだ。一人のクオンツが作った一つのアルゴリズムからじゃなくて、いくつものヘッジファンドが作ったあらゆるアルゴリズムの集合体からだ。AGIには一貫した理論はいらないかもしれない。集団現象かもしれないんだ。お金を追いかけていって金融市場に軽く一発撃てば、流れてきた力AGIが生まれてくるのさ』
このシナリオを信じるには、次々に優れた金融モデリングの構築に大量の資金がつぎこまれているという事実を受け入れなければならない。実際にそのとおりで、不確かな話だが、DARPAやIBMやグーグルがAGIにつぎ込んでいるよりもさらに多くの資金が、どこか別のところで機械知能に費やされているらしい。つまり、より数多くの優れたスーパーコンピュータとより賢いクオンツが生まれているということだ」
以下の論点は少しどきっとした。工学の強みというのがやっぱり自分にはわかっていないらしい。
「ゲーツェルは語る。『もしかしたら、汎用知能の厳密な理論における科学的なブレークスルーが起こらないと高度なAGIシステムの開発は不可能かもしれない。だが現段階では、その必要はないのではないかと思っている。いまの私の考えでは、現在の知識からステップバイステップで前進していけば、つまり、汎用知能を完全に厳密に理解しないままでも工学的に進めていけば、強力なAGIシステムを作れるはずだ」