エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

複雑系の世界

2012年の正月は曇りときどき晴れ。午後から近くの神社に歩いていこうかという程度の予定で、家族でごろごろしている。


ラニー・ミッチェルの「ガイドツアー 複雑系の世界」を読む。

ガイドツアー 複雑系の世界: サンタフェ研究所講義ノートから

ガイドツアー 複雑系の世界: サンタフェ研究所講義ノートから

90年代半ばの(日本での)熱狂的な複雑系ブームを経験した時には、実際には自分の研究との接点がなかった。その後、一分子解析の人たちと知り合ったり、自分でも共同研究でシステム解析をするようになって、自然と複雑系の概念が親しいものになってきた。一方で、やはり現実の系と遊離して概念先行で走るというスタイルになじめないものもある。このミッチェルの本は講義ノートから起こされたものなので、あちこちに新知見があるという本ではないが、手堅く現在の複雑系研究の様子がまとめられていて勉強になった。特にミッチェルは生物系に興味があるようで、その点での外部の視点でいくつかはっとするところがある。例えば以下のくだり。

「(粒子による計算)本章で紹介した例は比較的最近の結果だが、まだまだ研究が必要である。計算を理解するこのようなアプローチは確かに型破りだが、中央制御機構なしに無数の単純なコンポーネントの間で計算が分散実行される他のシステムを研究する際に、役立つはずだと私は考えている。たとえば、感覚データの高次の情報が脳内でどのようにコード化され処理されているかについては、現在でもわかっていない。おそらくそれに対する説明は、粒子的な計算、あるいは脳が三次元である点を考えれば、波動的な計算といったものに近くなるのだろう。そこではニューロンが、情報を運搬する波のような活動と、それらの相互作用によって生じる情報処理の基盤になっているのだ」

「波動的な計算」というのは可視的に思い描くのは楽しい。


「(生物系における情報処理)セル・オートマトンの場合と同様、これらのシステムの情報処理について言及する場合、それは細胞やアリ、酵素などの個々のコンポーネントの活動を指すのではなく、これらのコンポーネントが集まって構成される大規模なグループの集合的な活動を指している。そう考えると、従来型のコンピューターの場合と違って、情報は、システム内の厳密に決められたある特定の場所に、固定的に配置されているわけではないことが分かる。その代わりに情報は、システムの無数のコンポーネントをおおう統計的、力学的パターンの形態をとる」

こういう形で情報を捉えるというのは簡単そうで難しい。イメージングの腕の見せ所でもあるが、その場合、何が見たいかを先行していろいろ考えておかなければいけないのでセンスが問われる。


「中途半端な定義は、もっと適切な定義で新たに置き換える必要がある。またそれは、それが対象にする現象についての、新たな理解を反映するものであるべきだ。これまでみてきたように、複雑系研究には、力学、情報、計算、進化に関する諸概念の統合という大きな側面がある。新たな概念を表現する語彙や新たな数学は、この統合から練り上げられなければならない。数学者のスティーヴン・ストロガッツは、これについて次のように述べている。『どうやら私たちは、複雑なシステムを形成する無数の相互作用の影響を知るために必要な、微積分学に相当する概念的手段を持ち合わせていないようだ。だがそのような超微積分学が手渡されたとしても、もしかするとそれは、人知を超えているのかもしれない。要するに今は何も分かっていないのだ』」

複雑系研究者の正直な気持ちはこういうものであるらしい。意外と(当然かも?)他の分野でいろいろ考えている人たちとの距離はない。それだけ複雑系の概念が浸透したという見方もできるし、もっと厳しい見方もできる。私にとっては、以下に正確にデータをとり、対象を正確に把握するかの方が研究者としておもしろいが、こういう空中戦のような科学はもちろんあっていいと思う。