エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

あてにならない予想 -「心」の装置とその理論、および非線型性への見通し

情報理論は、クロード・シャノン@ベル研が空からつかみ出した。フロイトのアイデアは面白くもあり受け入れがたくもあるが、情報理論の視点から見ると、フロイトの唯一の誤りは、われわれの「心」を作り出している装置をエネルギー制御のシステム(あるいはそれに似たもの)と考えたことにあるのだろう(時代的には当たり前だが)。

むしろ、「心」を作り出している装置を考える際のポイントはエントロピーではないか。あてにならない予想をすると、"実在の大きさ"を持たない情報空間の質(または量?)を記述するエントロピーの制御がポイントだったと21世紀後半の認知神経科学者は語るだろう。こころとは、形をもった非実在であり、同時にそれが他者を理解するための不可欠なパーツだとすれば、「こころ」とは無形の実在としてはじめて記述できる何らかのものであろう。その「もの」に存在とラベルをするか非存在とラベルするかはarbitraryなのではないかという気がする。

あるいは、こころとは非物理的空間ー直感に反し、本来、空間とは非物理的なものであろうと思われる。例えば大森荘蔵が論じているようにーに無言のうちに浸透する何かなのかもしれない。

非専門家の知識だが、現時点で科学的という意味で論じるに足る「心の理論」は、IIT、ドゥアンヌの「グローバル・ニューロナル・ワークスペース」、拡張する身体理論の3つある。「心」の装置は基本的にはエントロピー制御であると考えることが可能であれば、どの理論が正解であるにせよ、議論の落ち着く先はほぼ見通せるような気がする。スティーブン・ホーキングが切り開いた「ブラックホールからエントロピーが失われる/外に出てくる」という理論がこの来るべき次世代の「心の理論」に何かを示唆すると面白い(時間の非存在という最近の物理学の流れからすると、さほど突飛な話ではない)。ここでも再び理論のフレームワーク非線型性(特異点という表現が当たっているか)が表に出てくる。本来の意味での心理物理学(過去に出てきたその祖先が基本的に線型であったのに対し、これはそもそもの骨組みが非線型になっている)の出番だと予測される。

物理学者がウォール街に職場を求めた時代は過去の記憶となりつつあるが、近未来の物理学者は"自分のこころおよび他者との関係性"に道を見出すだろう。このまま自然に展開すれば、社会科学と、物理学に基盤を置いた心理学(それを非線型認知科学と呼ぶことができるだろう)とは、もう一度、意図的に背を向けるだろう。もしその時に、社会科学と非線型認知科学との間を繋ぐものがあるとすれば、もう一段か二段か高次化した人工知能倫理学(論理学ではなく)であると期待される。

ル=グゥインのSFが好きな人ならば、『風の十二方位』に入っている『オメラスから歩み去る人々』を覚えているだろう。

"そのときにのみ、アンバーは亡びの淵からよみがえり、オメラスのdilenmaは幸福のうちに解消されるだろう"

 

非線型性は物理学者の最後の隠れ家である。