エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

来るべきもの

なかなか晴れ間が見えてこないまま、そろそろお昼になる。

 

ロビン・ハンソンの「全脳エミュレーションの時代」を読む。

 

全脳エミュレーションの時代

全脳エミュレーションの時代

 

 

人工知能は長らく理系の人間のあこがれだったが、急に現実味を帯びてくると(あるいはそのように宣伝されると)人間の場所がなくなるのではないかと浮足立つ風潮もある。

この本では、大学で物理学と哲学を専攻し、ロッキードNASA人工知能の研究をしたのちに、経済学と社会学に転じた著者が人間→全脳エミュレーション(EM)→AIという時代の変遷の方がずっと現実的だと論じている。未来予測というのは(少なくとも本という形では)やりたくないものだがあえてやって見せているところにまず著者の使命感を感じる。いわゆるトンデモ本ではないが、かといって手堅いというわけではない。あえていうと警世の書というものか。

ハンソンは「従来のcodingの進捗率から判断する限り、このままの状態が続けば、AIのルートを介して人間レベルの広範な能力が手に入るまでには2世紀ないし4世紀がかかる」と考えている。こころのメカニズムを原理的に理解して構成するには2世紀ないし4世紀かかるという意味である。あと30年足らずでAIの時代が来るということには工学的な根拠がないとして、15個の根拠を挙げている。いわく「(1)60年にわたるAI研究の中で、高レベルのアーキテクチャはシステムの性能にわずかな影響をおよぼす程度だった。(2)新しいAIアーキテクチャの提案は次第にすくなくなっている。(3)アルゴリズムの進歩はハードウェアの進歩によって促されているようだ。..」

 

では、あと2世紀は人間の時代が続くかというかというとそうではないというのがハンソンの主張である。EMという言葉は初耳だったが、その要素はこの3つ((1)十分に高速で低価格のコンピュータ。(2)迅速かつ詳細で低価格の脳スキャン。(3)詳細かつ効果的な脳細胞モデル)で、特定の人物の脳を詳細にスキャンして、そのままコンピュータ上で動かす(emulateする)というのであれば、それはお馴染みの概念でもあり、現在の脳神経科学の大目標のひとつでもある。そういう想定を神経科学のsocietyがあまり積極的にしていないというだけで、AIの方向に進んでいるのと同じ意味で、その機は熟しつつある。

 

では、「いつ」かということになるが、それはひまごの時代(1世代を15-20年とすると、45-60年)で起きて、EMのスピードは人間のスピードの4倍から1000倍になると推測されることから、起きてしまって数年で人間は文明の主役の座をEMに渡すことになるとハンソンは予測している(こんなにhumidな言い方ではないが)

 

「エム(EM)と人間は、識別可能な多くの点で異なっている。人間と比べてエムは、神経過敏な傾向やセックスへの関心や死に対する拒絶感が弱く、自然との結びつきが希薄だ。外交的で実直、愛想が良く賢く、頭の回転が速くて有能で、正直で楽観的、幸せでポジティブ、穏やかで美しく清潔で、気配り上手で冷静かつ協力的で和を乱さず、我慢強く合理的で集中力がある。懐古趣味で落ち着きがあり、物静かで感謝の気持ちを忘れず、さまざまな試練を耐え抜いてきた。さらにエムは、記録や測定や価格付けの対象になる。周囲から信用され、宗教心があり、結婚し、年を取り、仕事中心の生活をおくり、猛烈に働き、自尊心や自己認識能力を持ち、法を守り、政治を理解し、社会とのつながりを維持する。健全な感情を抱き、感情の波がなく、貴重なアドバイスに耳を傾け、生活が朝型で、永遠の命を与えられている」

「一部の人たちは進化が集合的に制御されることを望まず、現代のような生物的に不適切な行動を称賛する。自分の嗜好と合わない未来が進化のプロセスで選別される可能性を受け入れるが、長い間好んできた行動を継続させたいと願う。歴史の大きなパターンのなかで一時的に出現した夢のような時代において、例外的な役割を引き受けていることを楽しんでいる。 しかしそれを認めるか否かにかかわらず、実際に私たちの時代はつかの間の夢の時代であり、おそらく長続きはしないだろう」

 

「脳が具体的にどのレベルまでエミュレーションされるのかという点に、私は特にこだわっていない。いずれにせよ、このようなタイプのテクノロジーは実行可能かつ廉価になることを想定している。「廉価」とは、人間並みのエムのレンタル料が、2015年のアメリカの週給の平均である800ドルよりもかなり安い状況を指している。この価格ならば、ほとんどの仕事に関してエムは人間と競合できる」

「全脳エミレーションは、ソフトウェアを1つのマシンから別のマシンに移し替えるようなものだ。ソフトウェアを移し変えるためには、新しいマシンが古い機械言語を模倣できなければならず、そのためのソフトウェアを開発しなければならないが、必要なのはそこまで。移し変えたソフトウェアがどのように機能するか理解することまでは求められない」

 

熱力学的に可逆なコンピュータ(エコなコンピュータ)についても緻密な議論が1章分展開されており、大変興味深い。

「computerが機能するためには、構造の位置決め、妨害の遮断、communication、エネルギー、冷却など、さまざまな種類のサポートが欠かせない。そのためには自由エネルギーが必要で、それによって、エントロピーを負にして乱れた秩序を戻してやらなければならない。これからこの分野の研究が進めば、数十年以内にコンピュータのデザインで革命が引き起こされる可能性は大きいだろう。この革命のあとには、多くの種類のコンピュータが熱力学的に可逆傾向を強めると考えられ、それはエムも例外ではないはずだ」

 

このあたりは私自身の問題意識とかなりoverlapがあり、勉強になった。

「人間の脳の老化の一部は、発達プログラミングと生物学的老化によって引き起こされる。これらの精神的老化の原因は、エミュレーションの対象に含める必要がない。エミュレーションされる細胞は老化を進ませず、発達プログラミングを遮断しなければならない。しかし、人間の脳の老化の一部は心の設計に本質的に備わっていると考えられる」

 

これは著者の好みでもあろうし、欧米人が今の世界をどのように(どのように苦々しく)見ているかのひとつの表れなのかと思う記述もところどころに顔を出す。

「今日では、国家間の価値の変動のおよそ70%が、たった2つの要因で説明される。しかもこれら2つの要因は、個人的な価値の変動の大半も説明している。まず、国家は主に富裕国と貧困国の間で異なる。…そしてもう1つ、今日の価値観の違いが、「東洋」対「西洋」という形でも表現できる。東洋の価値観においてはコミュニティが、西洋の価値観においては個人や家族が重視される傾向が強い」

これは現在の日本にはそのままの形ではあてはまるまいが。

「エムの所得は最低生存費水準に近いので、富のレベルが文化に変化を引き起こすとすれば、エムの文化の価値観は今日の貧困国の価値観に次第に近づくはずだ。今日では東洋の文化が急成長を遂げ、しかも密集した地域に浸透していることを考えれば、エムの価値観は今日の東洋の国々の価値観に近くなる可能性が大きい」

 

いろいろ書いてきたが、個人的に自分の中に興味深い論点として残ったのは下記である。こういってしまえば簡単だが、こう言えるほどの知識に人類が到達できるにはもう少しかかりそうな気がする。あるいは臨床家であればまた別の感想があるのだろうか。

「人間の心の設計に変化を加えて費用効率を高めるのは容易ではない。たとえば、心が過去の出来事を忘れず、記憶を間違えなければ理想的だ。すべての経験を完全に記憶できるような心を創造すれば、この目標を達成することは可能かもしれないが、それでは、心は記録された経験から多くを学んだり抽象化したりすることができない。結局のところ、経験から何かを学習したり抽象化したりするプロセスが人間の記憶を進化させてきたといってもよい。人間の心に若干の変化を加える程度で、抽象的思考と完ぺきな記憶力を一度に手にいれられるわけではない」