エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

意識というスポークスマンと脳という巨大組織

秋晴れ。昼ごはんは早めに歩いて蕎麦屋に行って、ミニ穴子丼もり付きを食べる。彼岸花があちこちに咲いている。


私はシステム神経科学認知心理学の畑の人間ではなく、隣の畑を耕す人間の立場で、意識の研究に注意を払ってきた。


その中で特に強く印象に残っている本がある。
・コッホの「意識をめぐる冒険」
チャーマーズの「意識する心」
この2冊が、現代科学としての意識研究の源流になっているとすると、


最近のこの分野の「ライジング」を象徴的に示すのが
・トノーニの「意識はいつ生まれるのか」
この本だと思う。


そして今回読んだのは、「意識はいつ生まれるのか」に匹敵するインパクトがあり、面白いことに
トノーニの本と相補的な価値を持つスタニスラス・ドゥアンヌの「意識と脳」だ。

意識と脳――思考はいかにコード化されるか

意識と脳――思考はいかにコード化されるか


この本で問題にされるのは次の問いである。

「『意識の本質は何か』『脳の同期した活動からいかに意識が生じるのか』『意識はなぜ、特有のしるしを示すのか』」

これに対して、認知心理学認知神経科学)の巨人であり、意識についての「グローバル・ニューロナル・ワークスペース」理論の共同提唱者であるドゥアンヌの答えは、簡単に言うと、『意識はグローバルな情報共有である』というものだ。


もちろん、これが現代科学である理由は、この本の中に形而上学や哲学は意識研究の歴史に言及するときにしか顔を出さず、fMRIEEGなどの計測とマニアックでしばしばトリッキーにさえ見える実験心理学の組み合わせで肝の部分が証明されているというところにある。もちろん推測に過ぎない部分は「推測」と書かれているが、記述としては2−3割(あるいはもっと少ない)のではないか。

「コンシャスアクセスが続く間、ワークスペースニューロンは、その長い軸索を利用して情報を交換し合い、一貫した解釈を得るべく同期しながら大規模な並行処理を実行する。そしてそれらが1つに収れんするとき、意識的知覚は完成する。その際、意識の内容をコード化する細胞集成体は脳全体に広がり、個々の脳領域によって抽出される情報の断片は、全体として、個々の脳領域によって抽出される情報の断片は、全体として一貫性を保つ。というのも、関連するすべてのニューロン間で、長距離の軸索を介してトップダウンに同期が保たれるからだ。この仕組みでは、ニューロンの同期が鍵になると考えてよいだろう」

コンシャスアクセスはドゥアンヌの造語で、ほぼ「意識」と同じことを意味するが、「気づき」をより強調した言葉だ。


科学的な正確さを少し犠牲にして、たとえ話にするとこうなる。

「意識は大組織のスポークスマンのようなものだ。1000億のニューロンという膨大なスタッフを抱えた巨大な組織として、脳には、それに類似する情報の要約メカニズムが必要とされる。意識の機能は、最新の外界の状況を要約した上で、記憶、意思決定、行動を司る他の全ての領域に一貫した方法を介して伝達することによって、知覚を単純化することにあるのかもしれない」


ひどく印象的だったのは、人間の思考過程はベイズ推定であるといわれることが多いが、その見方について非常に的確で(個人的には)意表をついた理由づけが可能だというここのくだりだ。条件付確率(主観確率)をこう解釈できるというのは、一度そういわれてしまうとそれ以外の説明が色あせるほど的確だ。

ベイズの決定理論は、同じ意思決定のルールが、自己の思考と他者から得た思考の両方に適用されるべきであると考える。いずれのケースでも、最適な意思決定を下すには、すべての情報がただ1つの決定に集約される前に、内的か外的かと問わずおのおのの情報源を、信頼度の評価を通して可能な限り正確に重みづけなければならない」


先行研究に対して、ドゥアンヌらの仕事との関係を明確にしているのはこのようなところである。

・まず、コッホのNeual Correlates of Consciousnessについて

「これらの観察結果は、「真の意識のしるしと、単なる意識との相関事象を区別しなくてはならない」という、非常に重要な結論を導く。意識的な経験をもたらす脳のメカニズムの解明は、ときに「意識に相関する神経活動(NCC)」の探求と呼ばれるが、この言い方は不適切だ。相関関係は因果関係ではなく、したがってそれだけでは不十分である。至って多くの脳の事象が意識的知覚に相関し、先に見たように、それには刺激自体に先行し、それゆえ意識のしるしとは論理的にみなしえない変動のようなものも含まれる。われわれが探し求めているのは、脳の活動と意識的知覚の統計的な相関関係だけではなく、被験者の報告する主観的な経験を完全にコード化し、意識的知覚が生じた時には出現し、生じなかった時には欠落する系統的な意識のしるしなのだ」

・次にチャーマーズのハードプロブレムについて

「私の見るところ、チャーマーズはラベルを張り替えたようだ。難しいのは実際には「イージー」な問題であり、ハードプロブレムが難しく思えるのは、不明瞭な直観が関与しているからだ。認知神経科学とcomputer simulationによって私たちの直観がひとたび訓練されれば、チャーマーズの言うハードプロブレムは消えてなくなるだろう。いかなる情報処理の役割からも切り離された純粋な心的経験としてのクオリアという仮説的な概念は、19世紀の生気論のごとく前科科学時代の奇妙な考えとみなされるようになるだろう。生気論では、生物の化学メカニズムをいかに詳細に知ろうが、生命の特質は決して説明できないと考えられていた。現代の分子生物学は、細胞内部の分子機構によっていかに自己複製する自動機械が形成されるかを明らかにすることでこの信念を打破した。同様に意識の化学は、ハードプロブレムを徐々に解体していき、やがてこの問題は消滅するだろう」


非常に内容が豊富なので近いうちに再読したい。